前書き
お世話になってます。てらひまです。
普段はシャニマス配信をさせて頂いているしがない配信者( https://youtube.com/playlist?list=PLwDkbgNy_XrjwRApmkpJcGsswoth266A4
)です。(リストは全キャラの共通コミュを初見でやるやつです)
今日天塵をやるので自分なりに雛菜(part4)、円香(part10)の配信終了時点での怪文書を振り返ろうかな、と読み返し、せっかくだし公開するか…と思ったので公開します。
自分で読む用なので詩的な表現や妄想の域の解釈がありますので、苦手な方は閲覧非推奨です。
また、本記事を見なくても僕の配信を見て頂いている方や、そうでない方が私の天塵配信を見て下さったとしても支障は特に出ないと思います。
興味がある人がいれば楽しいかも、くらいの物です。
※
・雛菜、円香の共通クリア時点(2021-02-14)での怪文書です。
・修正してないので当時僕が抱いた感想と妄想と考察のキメラになっています。
・透、小糸は共通やサポコミュ含めほぼ何も知らない、見ていない状態で書いた物なのになぜか2人やノクチル自体への言及や妄想をしています。
・現時点(5/8)での僕の解釈と少し違うところもありますが、面倒なので当時受けた衝撃と感想をそのまま公開しています。齟齬があるかもですがお許しください。
以下原文ママ
雛菜
一言
高スペック故に理解されない、理解を求める女の子
考察
スペックが高い。
プロフにも書いてある通り、大概のことをそつなくこなせるように感じる。
しかし、それ故に相手と対等であることを求めるような言動が多く(プロデュースの際も常に良かったな、といえばPは良かったのかと聞く。頑張ったことやすごいことを口に出して褒めて欲しい等)、一種の孤独を抱えていそう。
また、共通コミュの「辛くて大変じゃないと頑張ったことにはならないの?」という言葉は、逆説的に
大変で辛い思いをしながら努力し、それ故に周りから認められる知人、或いは人種が存在する事を理解し、なまじ頑張りを肯定されたがる様や楽しいこと担当という言葉から、自分は辛く、大変なまでの努力はしたくない、という意志を感じる。
ただ、頑張った、という言葉を明確に欲する様やレッスンに残らないことに関してちゃんとやってるよ?という言動からは、自分なりの努力の形(無論結果も出ている)を真っ直ぐ評価し、認めてほしい、貴方はそれを認めてくれる人ですか?という問い掛けにも似た物を感じる。
その実、理解し合ってからのPへの好感度は凄まじい。
また、他のメンバーとの掛け合いにおいて中々棘のある言い方をするが、それは自分なりの努力を理解して貰えずとも、意地の悪いように見えるとしても、協調性がなく見えるとしても、自分はみんなと仲良くしていて良い、という悲しい安心感を求めている様にも解釈出来るような気がする。
かつて透明だった雛菜妄想
彼女は基本的に物腰柔らかな"〜"を用いて喋るが、稀に不満や本音で話す時にだけ無くなる。
彼女が意図しているか否かは不明だが、少なくとも意識的に付けられた記号(話し方)である事は明白。
極端な話、人格形成の過程からその喋り方なら取れることもなさそう。
逆説的に、これは頭が良くスペックの高い雛菜が何らかの理由で意図して生まれた話法であると考えることが出来る。
何故物腰柔らかな、丸みのある話し方に行き着いたのか。
これは一重にそうでない話し方を辞める理由があった筈で、その理由は今の喋り方で緩和される物でなければならない。
話し方、伝え方が最も重視されるのは言わずもがなコミュニケーションであり、対面の会話ではないだろうか。
つまり、雛菜には持ち前の能力と性格故に、過去特定のコミュニティに馴染めない、或いは避けられてしまったことがあり、その理由を察した、或いは察しないままで人付き合いに関して角のない人間になる必要があった。
その為に選ばれた手段が人に合わせる、本音を隠して建前で話す、ということではなく、耳障りの良い話し方にする、というものだったのではないだろうか。
また、この妄想から彼女の中にある譲れない点に関しての固さを感じる。
何故なら彼女は、人に合わせる、建前で話すという手段の方が能率が良く、話が早いということを理解出来るのだから。
だからきっと、
話し方がどうであれ、最も人を見、理解することが出来る女性、それが市川雛菜ではないのだろうか。
樋口円香
一言
一番臆病な努力家、尊敬と意地のジレンマ
考察
誰かの期待を背負いたくない。必死に生きたくない。レベルを試されたくない。
そんなの私は怖い。
この発言から見て取れる彼女の在り方は、一重に臆病であると感じる。
しかし、彼女は幼馴染の為に事務所を監視する、という名目とは言え、Pと接し、その際に君はダイヤの原石だ、との言葉と共に受けたスカウトを受けている。
言い方はポエミーだが、原石であるという評価は期待であり、期待を背負いたくない彼女がそのスカウトを受けた理由は下記であると感じる。
1.幼馴染の為の監視精度を上げたい
2.今一度誰かの期待に応えたい
3.ハイスペックな幼馴染(雛菜と多分透)と並んで良い自信を持ちたい。
個人的には、2.3が内包されているように感じた。
貸し借りの概念への言及が多いことから、彼女は律儀で義理堅く、また、Pとの会話から他人を評価するようなきらいがある。
それは必然的に、人付き合いにおいても相手に対する評価と同じ評価を相手に受けたい、与えたいという感情を生むのではないか?という考えから、3がまず主軸であるものに感じる。
2に関しては、今一度、とした通り、彼女は期待されたくない、ではなく期待を"背負いたくない"という言い方をしている。
これは少なくとも、期待というものの重さを知らなければ不自然な物言いに見える。
即ち、身近に期待を背負い、それに悩んでいる人がいる、或いは過去に期待を背負い、それに応えられなかったことからトラウマにも似た傷を持っている様に捉えられる。
ここで、自分が評価していながらも追いつけない位置にいる透を知るPに、原石だと評されたことを機に、自分も今一度Pの期待に応え、そして自分の大好きな、手の届かない場所にいる様にさえ見える幼馴染達と並び立ちたいという感情を抱いているのではないだろうか。
また、雛菜とのやり取りに棘がある様に感じるが、それは過去に折れた原因が雛菜であったり、或いはお互いの信頼故ではないかと思う。
円香が人前で頑張らないのも、見られるのが恥ずかしい以外に、貸し借り的な理屈から結果以前の努力そのものを評価されたくない(オーディション控え室の雰囲気の話等もこれ起因?)、或いはそれをされてしまっては目に見えるほどの努力が評価されがちなことに悩む雛菜に対して義理が立たないとの思いもあるのではないだろうか。
また、Pに対してもwing出場時、あなたのせいですね、に対して円香のせい、と言われて認めていることから、慣れの問題なのかまだ自己肯定するのに言い訳を欲している様な気もする。
それが臆病さなのか、理解者への恩返しのつもりなのかはまだわからない。
かつて透明だった円香妄想
彼女は現状、人を評価する様な言動や疑いをかける言動が多い。
では何故そうなのか、という話になる。
疑心暗鬼である点に関しても、透の為の監視者であった出会いのコミュでは自然とは言え、彼女は車中コミュに置いてもそれは貴方の本心ですか?と問うた。
少なくともこれは、本心であることを疑っている発言である。
人を評価し、言葉の裏を読もうとする彼女の在り方は、やはり人間関係に置いてそこに目を向けたくなってしまう何らかの事情があったのではないか、と感じる。
きっと彼女はもっと純粋で、期待を喜び、何かに打ち込む少女だった。
アイドルになってからも、その本質は変わらず、wing出場コミュで喜びを隠しきれていなかったり、こっそりレッスン室を利用している。
変わったのはその表明の有無や方法である。
この隠す、という点に関しては、表に出すことが憚られる何らかの理由を伴う必要があり、それは下記であると考える。
1.恥ずかしい
2.失礼に当たる
3.裏切りたくない
4.傷つきたくない
5.思春期
4に関しては既に共通コミュ内で怖い、と肯定されている。3に関しても期待を背負いたくないと明言されている為、裏切りたくないから期待をされたくない、期待させない為に努力を見られては困る。と考えることが出来る。
1、5に関しては根拠はないが最も自然であるように感じる。
そして2。この失礼というのは他ならぬ雛菜の存在であり、雛菜の大変で辛い努力は認められ、自分は褒めて貰えない、という悩みを理解していればこそ、雛菜を知る誰かの前で明確な努力をする事はできない。そして、彼女は雛菜の悪態(かまってほしいっぽい?)に悪態を返す。
そもそも雛菜が円香と透を間違えるはずもない。
結論として、彼女の言動は透に何らかの憧れがあり、雛菜にも高い評価をしているように見えるが、先述の彼女の貸し借り論を用いるなら、彼女はこの二人に足る人物であることを望むと思うのである。
きっとそれは幼い頃からずっと続く好意で、憧れで、いつしか劣等感にもなったのかもしれない。
彼女の感じた恐怖。
身の程を知りたくない、知らされたくない故のそれは、アイドルそのものに大きな関心がなかった彼女の中で、自分はアイドルになれない、と突きつけられることではなく、ノクチルの他のメンバーに劣る、不釣り合いであるということを突きつけられることへの恐怖なのではないだろうか。
また、彼女は小糸にだけ優しく、少し冗談を言うこともある。これは恐らく、同じく努力家で、それでいて素直で直向きで、気を使う彼女にどこかかつての自分を重ねているのではないだろうか?
ともすればこれらの対応は、さながら年の離れた妹を見ているような庇護欲と、少しからかいたくなる様な愛しさを彼女に産んでいるのだろう、と感じた。
そしてこの関わり方が、自分の様に表明することを恐れることなく、必死で直向きで小さな努力家への彼女なりのエールなのではないだろうか。
だからきっと人知れず、今日も彼女は踊る。
必死に走る、小糸の道を照らす為。
いつの日か、雛菜のことを褒める為。
近くて遠い、見知った背中に並ぶ為。
私には、そんな風に思えてならない。